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2015年5月24日
横浜市の西中様から

初めての42.195キロ! (2014年12月、那覇)
初めての 42.195キロ! (2014.12.7)
 完走と共に最大の不安である21.4キロにある12:15制限時間の地点が近付いてくる。スタートのロスタイムを30分とするとハーフを2時間15分で走る必要があり、初マラソンの大きな壁になっている。それのクリアに向けここまで頑張ってきた。脚は予想以上に重くなっているが、スタートのロスタイムが7分だった事もあり、なんとか無事に通過した。
 あるブログからNAHAマラソンの完走メダルが素晴らしい事を知り、この琉球ガラスでできたメダルが欲しいという極めて不純(?)な子供の様な動機から、12月7日開催の第30回記念大会に出場したのである。この歳になってフルマラソンに挑戦するという無謀極まりない暴挙に周囲は唖然呆然で、6月中旬から練習するも中学時代の陸上部以来のランニングで最初は3キロも走れなかった。そして練習開始2週間で左脚アキレス腱を痛め中断を余儀なくされた。マラソンの師匠であるS氏に相談したところ、「走り方、フォームが悪い。足を身体の前に出しているから」とズバリ指摘され「痛みがなくなるまで練習中止」命令が出た。痛みが取れた7月中旬から練習再開するも八ヶ岳登山でまた左脚アキレス腱を痛め再び練習中止となる。今回は筋を伸ばした様で2週間完全休養、ほぼ治ったと思った矢先に東京駅八重洲口前の横断歩道を急いで渡ろうとして道路中央で歩けなくなる程の痛みに襲われた。信号が赤になり車が向って来る中をほうほうの体で脱出するという死ぬ思いをしてから更に2週間の休息で、結局のところ練習再開は8月の終わりとなった。
 9月になって10月本番の100キロウォークとの並行練習となり、ランニングはアキレス腱の痛みが出ないよう恐る恐るの練習でなかなか本格的にならない。師匠の作ってくれた計画表に沿って練習をし、ハーフの21キロを含めて9月は111キロ走った(ウォーキングの方は110キロ)。10月は100キロウォーク本番(レポートはこちら)もあって24日から再開し月末まで48キロ、11月は30キロ走を含めて122キロ走った。30キロ走は20キロを越えてバタバタになり、何回も休憩を入れなければ走り切れなかった。12月に入ってからは疲れを残さない為に歩く程度とし7日の本番に備えた。
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 ブログによるとNAHAマラソンの醍醐味は、スタートからゴールまで途切れる事のない沿道からの応援とバラエティに富んだ差し入れやおもてなしらしい。その魅力に惹かれて募集枠3万人に応募が殺到する超人気で今回から抽選になったが、幸運にも当選し壮絶なマラソンデビューになったのである。あと、コースはアップダウンが結構あり、初マラソンには不向きできついらしい(が、完走メダルに目が眩んだ小生は省みず、走っている時に何回も実感いや痛感させられるのである)。 朝乗ったタクシーの運転手さんが言っていたが「NAHAマラソンは市民もランナーも一緒になった街あげてのお祭り」なのである。
 11月下旬にゼッケン番号が届き、3万人参加の中程「Gグループ」であった。NAHAマラソンは21.4キロと34キロで制限時間の12:15と14:10がある。この制限時間はスタート9時からのもので、AからJグループに分けられ、後ろになる程スタートラインまでのロス時間が大きくなり、それを含めての時間なので遅いグループほどハードルが高くなる。事務局に聞くと「Gであれば30分位はかかるかも・・・」との回答に益々不安が大きくなる。とりあえずスタートライン越えを9:30と設定した。経験者のブログから始めはランナーが多くて走れないらしいので7キロ辺りまでをキロ8分で設定、その後25キロまでをキロ7分、25キロからゴールまでをキロ8分とした「完走計画表」を作った。これで21.4キロの足切り余裕は8分しかない。30キロ走の時がキロ平均7分でいっぱいいっぱいであった事を考えれば、今の実力をフルフルに発揮しての計画である。このネットタイム「5時間19分」の計画を毎日眺めて頭の中に叩き込んだ。
 本番1週間前からエネルギーを溜める為とトイレ対策で食事調整に入った。これは100キロウォークの経験があるので心得たものである。師匠からは練習から本番当日の朝起きてからスタートまでの過ごし方を詳細に教えてもらい実行した。ランニング中のエネルギー注入対策として「ハニースティンガー」を本番3日前に購入し、これを買ったスポーツ店でふくらはぎサポーターを紹介され即購入した。この段にきて出来る事は全てやる事とし着々と備えながらも完走と制限時間クリアが大きな壁となってくるのである。
 前日の12月6日午後に沖縄入りした。羽田からの飛行機の中は服装やシューズから大半がNAHAマラソン参加者の様で、沖縄空港からのモノレールもランナーばかりである。そして、みんな速そうに見えるのである。奥武山運動場内で受付を済ませ、ゼッケンを手にして否応なしにテンションは上がるが、同時に不安も大きくなり眠れぬ夜を過ごす事になるのである。
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 そして12月7日(日)本番の朝になる。5時起きでストレッチをし予定の食事を取る。今までやれる事はやってきたと思い込む。練習以外は。そして出来る事の最後として、予定より早めにホテルを出て7時にGグループの先頭に並んだ。Gグループだけでも5千人もいるので最初と最後では相当ロスタイムに差がでる筈である。2時間前から並ぶ格好になるが制限時間のリスクが小さくなるなら良しである。師匠から「前夜はよく寝る事」があったが殆ど眠れず、「よく寝た」と思う事にした。ぞくぞくとランナーが集まってくる。皆、強豪に見えてフルマラソンデビューの小生は、どんどん自信が無くなっていく。9時少し前にスタートラインの方に進み始める。いよいよである。隣に8回目参加の北海道からのランナーがいて一緒に走る事にする。NAHAマラソンのスタートはピストルではなく、平和の鐘「万国津染之鐘」を突いてスタートとなる。今年はボクシング元世界チャンピオン具志堅用高さんと那覇の城間市長大会会長がスターターで9時に鐘を突いて一斉にスタートしたらしい。というのも残念ながらGグループには全く聞こえず、しばらく経ってぞろぞろと歩き出し走り始めた。ブログからスタートは右側が良いとあったのでなるべく右側に位置しスタートラインのある明治橋に来ると、右側にある具志堅さんと市長の居る高台の前は凄い人だかりで、皆立ち止まって写真を撮っている。仕方なく左に寄ってお二人に手を振りながら走り出し、ついに本番開始である。時計を見ながら時速8.5キロ、7分/キロのペースで進んでいく。最初はランナーが多くて速く走れないとブログにあったが、このペースなら21.4キロの関門には好都合である。スタートしてから沿道には応援の人がいっぱいで、国際通りに入ると道幅が狭くなり両側から溢れる応援の人達と触れ合う感じで圧倒される。これがNAHAマラソンの醍醐味である。国際通りを抜けると道幅が広くなり5キロ地点が近づく。最初の給水ポイントである。師匠の「口に含む程度でも良いから必ず給水する事」の指示を実行すべく左側に寄る。それにしても凄いランナーの数である。脚を止めずに口に含んで無事に通過。時刻は9:42で5キロ35分ちょっとのまずまずのペースである。身体は何ともなく息づかいも全く問題ない。この調子で中間までは行きたいものと考えながら若干の上り下りのコースを7キロ過ぎまで来ると大音量で「YMCA」のメロディーが聞こえてくる。そして大半のランナーが音楽に合わせて「YMCA」を踊っているのである。リラックスする意味でも踊った方が良いとブログに書かれていたので小生も踊った。走りながらはさすがに窮屈ではあったが楽しかった。「無駄な踊り、有難う!」というマイクの声を背に、途切れる事のない老若男女からの温かい声援を全身に受けて気持ち良く進んでいく。それにしても応援と共に色んな差し入れが準備されている。これが「NAHAマラソン」である。「NAHAマラソンは那覇市民のお祭りなんです」と言っていた事を実感しながら10キロポイントに来る。まだ疲れもなく脚も大丈夫で順調である。給水ポイントで水を少し飲み、塩酸アプリをひとつ口にする。通過時間10:17でこの5キロも35分ちょっとをキープしている。周りはまだまだランナーがいっぱいで大きな人の流れとなり快調に走っている。まっすぐで見通しの良い道は、ランナーで埋め尽くされており壮観である。3万人は凄い数である。
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 大きな流れに乗って15キロポイントを10:52に通過した。今回もきちんと給水し塩酸アプリを食べる。少し疲れが溜まってきているがまだ大丈夫な感じで、練習時心配だった左脚アキレス腱と股関節の痛みはない。この5キロも35分ちょっとだったが、ここからの5キロは結構アップダウンがきつい事もありランナーがばらけ出した。そして17キロ過ぎから20キロまでの上りでは歩く人が急に増えてきた。当然小生も脚が重くなり苦しくなってきた。歩幅が小さくなり息づかいも荒くなる。「ここで頑張らねば・・・」と腕を振る。3キロは長く、いくら進んでも上りが続く感じで我慢比べである。「どんなにしんどくても決して歩かないでゴールしよう!」と決めてスタートしたので、ここでそれを反故にする訳にはいかない。「いっちにー、いっちにー」と心で呟きながら進み、やっと頂上まで来て20キロポイントを11:27に通過する。この5キロは34分半ちょっとで、上り坂を考えれば速過ぎたが後悔先に立たずである。平和記念公園に入り一段と応援が大きくなる。大声援に包まれて中間地点を11:35位に通過した。走る前にあれ程不安だった最大の関門を難なくクリアした。と同時に急に脚が重くなり走りがきつくなる。
 中間地点の制限時間クリアで安堵した途端に、同時に完走への不安が一気に膨らんでくる。下半身が別人の様である。塩酸アプリを食べ、更に初めて「ハニースティンガー(バニラ味)」を食べると少し楽になる。が、それも一瞬で更に酷い辛さになる。まだ30キロも来ていないのに・・・。特に下りがきつい。そう、疲れると上りより下りの方が辛いのである。膝を痛めないように小股で走る。この辺りになると周りのランナーもさすがに減ってきている。中間地点過ぎから極端に減ってきた。でも、沿道からの声援は全く変わらずで差し入れも色んな物が出てくる。水・バナナ・黒糖・飴・アクエリアス・棒状アイス等など。そしてエアーサロンパスも登場する。身体全体が熱くなっているのか、胸や背中や太股・ふくらはぎに水を掛けるとシャツや短パンはべとべとになるが実に気持ちが良い。そして乾くまでのしばらくは快く走れるのである。テレビで観るマラソンランナーが頭から水を被ったり脚に掛ける気持ちが良く分かる。こんな状態で25キロを通過する。腕時計が12:03を指している。この5キロも35分半位で走った事になるが、確実に限界に近づいているのが分かる、周りのランナーも減ってきて、平坦な道でありながら歩いている人が増えている。変わらない沿道の応援が、折れそうになる気持ちを何とか支えてくれる。辛い時に師匠の言葉「ゴールをイメージして笑顔で走って」が思い出される。「そう、笑顔で走ろう、笑顔で」と思うが、もう余裕が無くなっているのだろうか、笑顔になれない(泣)。
 道幅が広く、だんだん人がばらけてきて単独走のようになる。今迄の人混みがウソの様で、色んなコスチュームのランナーが目に付くようになってきた。超人気のふなっしーやマリオ、雪アナ(らしき人?)、大根(?)等など。そしてそれらが前に来ると、沿道の応援が一段と大きくなる。脚は鉛の様に重くなってきており、明らかにペースが落ちているのが判る。「歩きたい、脚を止めたい、少しでいいから・・・」という自分と、「意地でも歩かず、遅くてもいいから走り続けるぞ!」という別の自分が葛藤を始まる。
 それらを冷静に考えられるゆとりはまだあるようだ。「走り続ける為にはどうしたらいいか?」「腕を振るんだ!」 「腕がだるくて痛くて振れない」 「だったら肩を振るんだ!」など多種多様な思いを巡らしながら第2の制限時間の34キロを通過する。時間的には余裕たっぷりではあるが、この状態でゴールまで辿り着けるか不安でいっぱいになる。「キロ8分でいいのだから」と思いながらもそのペースに落とす事が出来ず、キロ7分半位で坦々と腕と足を連携させて進んでいく。「笑顔」なんて出来やしない。13:20に35キロを通過する。益々周りのランナー密度は低くなっている。この時点でもスピードはそんなにないが楽そうに走っている人がいる。羨ましい限りである。差し入れに大好物のおいなりさんが出ていたが、手が出ない。沿道の応援・声援が身体中に沁みわたっていき、頑張れる、頑張らねば・・・と力を絞り出す。上りになった。これが40キロの2キロ手前からの最後の上りである。多くのランナーが歩いていて、歩いていない人は1〜2割である。「上りは腕を振る」の師匠の教えが頭をよぎり歩幅が小さくなるものの走り続ける。結果、どんどん追い抜く恰好になる。「皆と同じ様に歩きたい」という弱気を「走るきる」という強い意思で踏みつけながら。そんな小生の横を颯爽と追い越していく女性ランナーがいた。ポニーテールを揺らしながら。「あぁー、ここにきてあんなに楽そうに走れるなんて・・・」と羨望の眼差しで背中を見送る。しばらくして、その女性が歩いていて追い抜いた。「疲れ・辛さ・苦しさは皆、同じなんだ」と再認識し、長くて辛い上りを進む。「ぜんざい、ありますよーー」の声が聞こえる。が、とても食べれず食べた気持ちと感謝で通り過ぎる。それにしても本当にエイドのバラエティにはビックリである。やっときついきつい坂を上りきって40キロを通過した。13:57でこの5キロは38分かかった。計画では8分だったので上出来である。40キロからは一気に下りが続く。が、これがまたキツくスピードが出ない。肩を揺らしながら国道に別れを告げて競技場への取り付け道路に入る。きのう受付をした建物の前を通り、競技場のゲートを抜けトラックに入る。景色が一変する。左に「FINISH」とかかれたアーチが見える。あと半周である。第3コーナーを過ぎ第4コーナーをまわると正面にゴール・ゲートが待っている。だんだん近づいてくる。「FINISH」の文字が大きくなってくる。そして・・・・・  ゴーーーール!!!終った。やっと終わった。もう走らなくていいのだ。歩いているのに脚がもつれる。そんな状態で「完走証」を戴き、そしてどうしてもほしかった琉球ガラスの「完走メダル」が首に掛けられた。重かった。思わず「やったー!」と心の中で叫んだ。胸の琉球ガラスが日に当たって輝いている。
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 グロス : 5時間12分21秒
 ネット : 5時間5分25秒
 こうして無謀極まりない初めてのフルマラソンが無事に見事に終わった。一言で言うなら「苦しかったけど、楽しかった。そして、走って良かった!」NAHAマラソン、最高である。コース、応援、差し入れ、運営等など。そして、何よりも沖縄の人達は優しく温かい。
 「色々とありがとうございました!」
 只、もう二度とフルマラソンを走る事は無いだろう・・・・。
おわり
横浜市 西中 誠
『もう二度とフルマラソンを走る事は無い』って本当ですかね?!



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