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2012年11月16日
横浜市の西中様から
100kmウォーキング
第14回行橋〜別府100キロウォーク大会に参加
第14回行橋〜別府100キロウォーク大会
指導員として記録に挑戦(5回目)
2702番  横浜市  西中 誠


 今年も10月6日〜7日に「第14回行橋〜別府100キロウォーク大会」が開催された。私も今回で5回目になるが、無事に参加し無事に完歩出来た。まずは、関係者の皆様や応援を頂いた皆々様に感謝申し上げます。
 参加に無事はおかしいが、今回の申込みは凄まじく7月3日午後に受付が解禁され、翌日4日のお昼には予定定員4300名がオーバーとなって、4日受付分は抽選となったのである。今年から取り入れられたインターネットでの新方式が丸1日でオーバーとなった要因と思われるが、たまたま出張等で3日にパソコンを触れなかった人や、昨年のペースでの応募と思って郵送をゆっくりされた方も多かったのではないかと思う。かく言う私も7月4日でいいか・・と思っていたのだが、偶然にも3日深夜にパソコンを触る機会があって救われたのである。でも、この人気は凄い。
 今回は5月の「つくば100キロウォーク」の仲間も初参加する事になった。完歩のN氏は九州も制覇、T氏とH嬢はつくばのリベンジを目標に挑戦する事にしていたが、3人共4日申込みでの抽選になったのである。その中のH嬢は、なんと4日16時に郵便局に走り込んだ者だが、皆運強く(?)全員が当選し参加出来る事になったのである。私はというと4回完歩の実績から今回は「指導員」の腕章をつけての完歩をめざしたのである。今回も昨年同様に夏場暑く仕事も多忙で練習不足だったが、この行橋−別府100キロウォーク大会の集大成とすべく、敢えて「記録」に挑戦する事にした。公然と「17時間台での完歩」を口にし、100キロ工程の通過目標メモを作成して臨んだ。過去4回全てに悩まされた睡魔対策として「カフェロップ」と、ペースダウン対策としての「デジタルメトロノーム」を新ギアとして持参した。が、17時間台での完歩は私にとって相当高いハードルである事には変わりなく、高い目標に押し潰されそうな気持ちでスタートラインに立った。初参加組のつくば100キロ仲間3人も、三者三様の想いを胸に20数時間の壮絶な闘いになる事も知らずにスタートエリアに立っている。(事前レクチャーは十分過ぎる程やったし、何よりもアップダウンは違うがつくば100キロに挑戦し、1人は完歩しているのだから、ちょっとは安心しているが・・・) 先程も記した様に今回は「記録」への挑戦で1区間(行橋〜中津36キロ)を5.8キロ/時、2区間(中津〜宇佐25.5キロ)を5.7キロ/時、峠続きの3区間(宇佐〜日出25.5キロ)を5.5キロ/時、最後の4区間(日出から別府ゴール14キロ)を5.6キロ/時とし、中津と宇佐での休憩を各々5分、日出2分での17時間57分で、各通過ポイントの予測時刻を入れた計画表を作ってチェックする事にした。
 結局4000名弱となった参加者は行橋正八幡宮の境内に入れず、外の指定されたエリアにわんさか溢れかえっている。不安そうな顔、自信満々や笑顔の面々、談笑している者、寡黙で精神集中している緊張一杯の顔等など多種多様で、スタート前のイベントでテンションは一気に盛り上っていく。私は集合が遅れた事もあって境内の外でスタートを待つ事になったが、恒例のセレモニーのあとに曇天で絶好のウォーキング日和の中、12時からウェーブ方式でスタートするトップグループの様子を5回目にして初めて見る事ができた。勢い良く歩き出していく光景は壮観で身震いした。我々4名は結局2名づつになって12時50分過ぎに闘いの幕は切って降ろされた。
 T氏と一緒にスタートするも1キロもいかない川に出たところで離れてしまい、後はマイペースでの1人旅となる。目標時間の早いグループからスタートするので、50分過ぎのスタート組は目標20時間超グループゆえどんどん追い越す格好になり、自分のペースがわからなくなる。が、私の歩きのペースチェック「ミッキーマウスマーチ」の曲でチェックすると約6キロ/時のペースらしく、まずはこれで進む事にした。そういえば今回は靴も新調した。前回及びつくば100キロで両脚踵横に大きな肉刺が出来て難儀したので、踵部分がピタッとくる1回目に履いたメーカーのシューズに変えたのである。事前の80キロ歩いた時には何もなく万全!と思っていたのだが、14キロ辺りからちょっと違和感が出てきて、中津に着くまでに両方の踵肉刺が潰れた様で靴下がシューズに張り付く感じになった。が、痛みはなく快調で浜の宮大橋(20キロ)を16:13に通過し、中津に18:53(10分前倒し)に着いた。この区間は6キロ/時でカバー出来た。
疲れは相当あるが足の肉刺が痛く無くて気分的には楽な感じである。バナナ・梅干を戴き給水をしてちょっとストレッチをしただけと思っていたが、計画5分に対して結局10分強も休み19:04に宇佐に向け出発した。
 今回は指導員としての初参加である。道いっぱいに拡がって歩いている人達に「右に詰めてくださーい」とか、車がくると「車がきますよー。気をつけて」「信号赤ですよ、止まってくださーい」と大きな声で注意喚起をしたり、背中の点滅ランプをつけてあげたり、元気付けたりした。「5回目で指導員だから全部完歩してんだー」の話し声に「誇りと責任」を自覚する。でも昨年も「車がきますよー」って大声で叫んでいた様な気がする。要は、本人の意識が大事であって指導を受けない様に歩く事が重要なんだと思いながら、指導員腕章を見て元気を出していた。
 ちょっとオーバーペースの不安を抱きながらもその後も快調に進んでいく。TOTOを計画内時刻で過ぎ、41キロの土屋農園梨サービスに19:50過ぎに到着し、今年も美味しく戴いた。梨と共に、ここでボランティアされている方の元気な声と明るい笑顔に癒され、苦しい時こそあの方達の様になりたいものであると毎回思う。感謝!感謝。ここからは暗い道をヘッドライトの灯りを頼りに黙々と歩く。自問自答しながら・・・。睡魔も襲ってくる。ちょっと早いが眠気対策の「メガシャキ」を飲むが、なかなか効いた感じがしない。半分寝ながら50キロを21:24(10分アヘッド)に通過。此処まで休憩いれての5.8キロ/時強は計画以上のピッチである。ここから下りでペースをあげていく。今回は気温も高くなく汗もそんなにかいていないと思うのだが水分を良く取った。水500ミリとスポーツ飲料500ミリの2本を常に持っていたが、水はチェックポイント3ヶ所で補給しスポーツ飲料は自販機やコンビニで5本も調達した。体調のせいか・・・・。53キロ過ぎで味噌汁・スープの接待があった。41キロから黙々と歩いてきてのこのサービスは極めて効果大である。ここで川本代表とお会い出来て、ご挨拶をさせて戴いた。「18時間切りを目指しています!」「いけるんじゃない?」「宇佐まであと8キロだ、頑張って!」と暖かく元気良く送り出され、気分も新たにスタートして行った。宇佐神宮バス停を過ぎ、真っすぐな暗い道を第2チェックポイントの宇佐に向けてひたすら歩く自分自身に「良くやっているぞ!」と声を掛けながらペースを維持していく。23:24(12分アヘッド)に宇佐到着。ここまで5.8キロ/時で来ている。さすがに脚や腰・背中は疲労感でいっぱいだ。中津で計画以上に休憩したので、此処は給水のみで峠越えに向った。
 立石峠上りはなかなかピッチがあがらなく、今迄のオーバーペースに反省の念が起きる。無敵のウォークマンで北島三郎を聴くが快調にならず5分くらいで止めた。(結局、ウォークマンは無用の長物になった) 峠頂上に10分アヘッドで到達し下っていく。ここで今回の新規ギア「デジタルメトロノーム」を出した。126/分のピッチ音に合せて睡魔と闘いながら脚を動かしていく。いつもながら69キロや70キロのチェックポイントに気が付かず、76キロのぜんざい休憩所に到着。計画ではぜんざい休憩は取っていなかったが、26分の余裕があったので戴く事にする。昨年同様に紙パックを準備していたので差し出すと「これっ、ごみ?」「違うよ、それ、マグカップの代りよ」という昔若かったお姉さんの会話に顔が緩む。「いっぱい入れて下さい」というと本当に並々と入れてくれ、もったいなくて全部戴くのに13分もかかった(笑)。ここに俄かコンビニもあり、リポDを飲んでアクエリアスを買い3キロ先の七曲りに向け再出発する。この辺りでは睡魔も無くただただ目標クリアすべく精神力との闘いである。七曲り入口で16分の余裕があったが、ぜんざいでお腹一杯とこの先を考えてバナナも戴かずに一気に杖を片手に七曲りに入る。「苦しい!」「きつい!」と心で叫びながら足を止めずに頂上を越え、下りもそれなりに頑張ったつもりだが予定以上に時間がかかっていた。赤松峠も昨年よりはスピードに乗れず、只黙々と登っていき七曲りの挽回を図る。日出には4:02到着した。予定比17分のアヘッドである。此処までは順調に来た。
 今回一緒に参加した仲間とは、状況と苦しみの共有や頑張りの源泉として、主要ポイントでメールの交換をしながら歩いた。浜の宮大橋(20K)、中津CP(36K)、梨サービス(41K)、糸口山バス停(50K)、宇佐CP(61K)、ぜんざい(76K)、七曲り入口(79K)、日出CP(87K)、そしてゴール(100.7K)を定点として、他の所でも事態発生の都度お互いが発信し合ったのである。誰かが頑張っているから、止めたいけど頑張る・・・。これこそ絆であり駅伝の精神で、非常に大きな支えになったのである。
 日出で顔と手を洗って水を補給して、4:06最終区間に踏み出していく。あと14キロなれど、ここまで来ると流石に身体全体が悲鳴をあげている。まずは6キロ先の別府ロイヤルホテルに目標をおき、未だ夜が明けない中を進んでいく。5:04に到着。残り8キロまで来た。周りはまだうす暗く辛さもピークでなかなかピッチがあがらない。風も生暖かく身体自体がシャンとしない。身体全部が疲れで埋め尽くされているからか。毎回同じ場所で応援してくれている元気なおじさんに「あと少しだ、頑張れ!」と激励・勇気をもらったが、直ぐに消えていきだらだらと歩き続ける。あと5キロの表示板。まだ長いー。あと4キロ表示。未だ4キロもあるのか・・・。あと3キロ。頑張れ、ここまで来たんじゃないか。あと2キロ。20分ちょっとで終る。あと1キロ。ゴールは目の前だー。ここまでに何回も信号待ちという最後の試練に遭遇する。700m、500m、300m、200m、ゴール横の横断歩道橋が見える。100m、「まもなくゴールですよ、頑張って!」のスタッフや沿道の声援。的ケ浜公園への3段の階段。今はこのわずか3段が途轍もなくキツイ。「あと少しよ」「良く頑張ったねー」という嬉しい掛け声と拍手に包まれてゴールテープを切った。 「やったーーー!!!」 5回目のゴールであるが、いつもこの言葉しか出てこない。時計は6時30分を指していた。「西中さん、完歩おめでとうございます。時間は17時間38分27秒です」。この言葉で今までの苦しみがスーと消えていった。目標であった17時間台を達成した瞬間である。
 早速に仲間にメールをする。T氏、N氏からはお祝いと共に大苦戦している返信が入る。今、二人は100キロの真の試練にもがき苦しんでいる真っ只中なのである。ひとりH嬢からは返信がなく、実は4時半からメールにも電話にも応答無しなのである。(我ら全員、完全にリタイヤしたと思っていた) 結果は、T氏が19時間54分で完歩し、N氏も最後苦しみながら21時間42分で見事に完歩したのである。特筆すべきは、ずっと音信不通だったH嬢も見事に制限時間内の25時間27分で完歩したのである。大いに苦しみながら完歩した仲間の頑張りは本当に立派で、敬意を表すると共にこういう人達を仲間に持っている事を誇りに思う。
 こうして5回目も成功裏の内に終了した。今大会は100キロウォークの集大成として記録に挑戦し達成出来た。また、今回も新たな何かを教えてくれた大会でもあった。この完歩5回で自分の中に確実に人生で必要なものが出来あがり役に立っていると確信できる。余談になるが、完歩後の日曜夕刻に別府駅前北浜地下道で偶然にも川本代表と出会った。10秒いや5秒違えば出会う事のないこの奇遇こそ「縁」だと思っている。この100キロウォークにも「縁」があり、これからも人生全てにおいて「縁」を大切にしたいと思っている。
 28日(日)に、完歩4名と今回は参加できなかったつくば100キロに参加したN氏のご子息の5人で完歩祝勝会兼慰労会を開催した。当時の苦しみを今は笑いながら話している3人は、完歩したという自信からか大きく眩しく見えた。私の決して錯覚ではなく、顔や言動にしっかりと表れていたのである。100キロウォークはこうして有形無形問わず人を成長させていくのである。分析大好きのN氏が自身の工程実績の分析表と呟き一覧と、私が手書き4時間半で作成した完歩者と横浜で応援してくれたご子息の間で交わされた携帯メールを発信時刻で纏めた「第14回行橋〜別府100キロウォーク足跡」で大いに盛り上ったところで、川本代表にお手数をお掛けしたTシャツをサプライズで出すと皆満面の笑顔となり最高潮となった。この喜びも完歩ゆえのものであり、リタイヤが1人でもいたなら川本代表にお願いする事は無かった。何故なら、そのリタイヤした人は1年間Tシャツを見る度に後悔すると思うから(笑)。今はTシャツを見る度に「あの苦しみを乗り越えてきたんだから・・・」と元気を出してくれると信じている。素晴らしい仲間達である。さて来年、この中の何人が気持ちよく「参加」する事になるのか・・・・。
 最後に、川本様、関係者・スタッフの皆様、応援を頂いた皆様、協賛してくれたコンビニや沿道の皆様、本当に有難うございました。この100キロウォーク大会がいつまでも盛況で続く事を願っております。
横浜市 西中 誠
ついに指導員としての参加ですか
すごいですね! お疲れ様でした!

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