東武東上線下赤塚駅から板橋十景のうち五景をめぐる散歩!
 こんにちは。oh!さんぽ隊2号のてくてくある子です。
今回は板橋区にある東武東上線下赤塚駅に下車。目的は「東京大仏」を拝観することです。東京大仏とは青銅製で、高さ13メートル、重さ32トン。昭和52年(1977)に建立され、奈良、鎌倉に次ぐ大仏といわれることもあります。いえね、もう数十年前のことですが、大学受験で上京した際に板橋区を散歩したことがありまして。そのときにどこかの大仏様を拝んだ記憶がうっすらとあり、それは果たして東京大仏であったのかなと。そんな私事でたいへん恐縮ですが、お付き合いいただけましたら幸いです。
歩いた日 2014年12月03日
難易度   ほどほど
時間 約4時間
歩数 約13000歩
高低 平坦
距離 約7km
車椅子 十分可能
サイクリング 可能
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〔01〕 お散歩アルバム[東京大仏]
 高校3年の冬、板橋の叔母宅にお世話になり、大学を数校受験。残念な結果が続き、気分転換にと散歩したのが大仏様との出会い。当時の私はきっと藁にもすがる思いで「大仏様、もうどこでもいいから合格させて」と祈ったはずですが、どこの大仏様に祈ったのかおぼえてなく、やがて板橋にある大仏といえば東京大仏と知り、あのときの大仏様? と気になっていたのです。
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お散歩アルバム[惣菜店] [衣料品店]
 東京大仏があるのは、下赤塚駅から徒歩約25分の「乗蓮寺」。東京大仏は板橋ならではの景観や名所を選定した「板橋十景」のひとつで、乗蓮寺の近辺には板橋十景のうち五景があります。
 そこで、東京大仏を含む五景を訪れようと下赤塚駅へ。駅前商店街「赤塚壱番街」を歩き始めると青果店に100円未満の野菜、惣菜店に47円のコロッケ、75円のアジフライ、衣料品店に385円の長袖Tシャツ。あまりの安さにすぐさま引っ越してきたくなります。
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 おっと、金色頭の大仏様が目印のお好み焼き店。東京大仏のお膝元だけあって、「大仏もんじゃ」というメニューがあります。が、お店は夕方から。大仏もんじゃとは、どんなもんじゃ。
 商店街はしだいに住宅街に。その街角に昔ながらの豆腐店、電器店、紳士・婦人服の寸法直し店などを見つけます。この街に住んでいる人たちみんなにずっと頼られてきたお店たちなんだろうなあ。
〔08〕〔09〕 お散歩アルバム[紅葉]
 はて、ここは? イチョウの大木の左右に階段が並んでいます。どうやら右が「八幡神社」で、左が「大堂」。大堂は南北朝時代に大きく栄えた寺で、八幡神社はその守護神として創建。永禄4年(1561)に上杉謙信が小田原北条氏を攻めたとき、大堂は焼き討ちにあって焼失。本尊の阿弥陀如来坐像と梵鐘が古くから貴重とされ、江戸時代には参詣客が絶えなかったそうです。
〔10〕
 松月院交差点を渡った交番の先には「怪談乳房榎記念碑」。明治時代の落語家・三遊亭円朝がこの地にあったコブのあるエノキをもとに「怪談 乳房榎」を創作したとされるもの。
 この怪談は歌舞伎や映画にもなっていて、さっそくインターネットであらすじをざっと読むと、背筋がぞぞぞぉ〜。境内に“乳房榎”があったと話の中に出てくる「松月院」へ向かいます。
〔11〕〔12〕 お散歩アルバム[ヒイラギはある] [あ”〜]
 松月院は室町時代の武将で赤塚城に居城していた千葉自胤(よりたね)が菩提寺として中興開基。江戸時代には徳川家康が朱印地40石を寄進した由緒ある寺で、板橋十景のひとつです。
 境内には千葉一族の墓や徳川家朱印状を収蔵した宝物館、江戸後期の砲術家・高島秋帆(しゅうはん)がここに本陣を置き、日本初の洋式砲術の訓練を指揮したことを称える碑も建てられています。
 “乳房榎”はもちろんありませんが、「エノキは記念碑のところにありますよ」とお寺の方。ああ、あの木がエノキだったのか!
〔13〕〔14〕〔15〕 お散歩アルバム[花]
 よし、次は乗蓮寺。ですが、ちょっと先にある「赤塚植物園」に寄り道。武蔵野丘陵の面影を残す園内では散策路を上ったり下ったりしながら、約600種の樹木や草花、山野草を楽しめます。
 ここで嬉しいのは、植物の名前がひとつひとつ細かく表示されていること。この木何の木? と思ったときにさっと何の木かがわかります。はい、エノキがどんな木かもすぐにわかります。
〔16〕〔17〕〔18〕〔19〕 お散歩アルバム[閻魔堂]
 さあ、大仏様です。応永年間(1394〜1428)創建と伝えられる乗蓮寺は、徳川家康より朱印地10石を与えられ、また、8代将軍吉宗のときには鷹狩りの休憩所とされました。
 昭和46年(1971)、現在地に移転。昭和52年(1977)に東京大仏が関東大震災や東京大空襲の無縁仏の供養や平和を祈願して建立され、お正月には多くの人々が初詣に訪れます。
〔20〕〔21〕〔22〕
 あれ、この境内。私の記憶と違う。私の大仏様はもっと高台にあって、そこから景色を見渡せたような気がする。しかし、こちらの境内には何やら「鉄拐仙人像」「奪衣婆」「がまんの鬼」など、ユニークな石像が並んでいます。
 これらの石像は戦国時代の武将で後に伊勢津藩初代藩主となった藤堂高虎が、豊臣秀吉による朝鮮出兵で持ち帰ったといわれるもの。当時から珍品とされたもののようです。
〔23〕〔24〕〔25〕
お散歩アルバム[名湧水57選のひとつ]
 で、私の大仏様はどこ? とボーゼンと乗蓮寺を後にして歩いていくと「赤塚不動の滝」。江戸中期の山岳信仰が盛んだった頃、人々が富士山や大山参りに行く前に身を清めるみそぎ場だったとか。
 さらには「赤塚溜池公園」。板橋十景のひとつで、開花時には約200本の梅が咲きそろいます。丘の階段を上ると千葉自胤が築いた「赤塚城」の本丸跡。空堀や土塁の跡も残っているそうです。
〔26〕〔27〕
 新大宮バイパスを横断して訪れたのは、ここも板橋十景のひとつ「赤塚諏訪神社」。
 明治時代以降、赤塚城の北側は「徳丸田んぼ」と呼ばれる広大な水田地帯で、赤塚・徳丸地域には五穀豊穣や子孫繁栄を祈願する行事「田遊び」が伝えられてきました。現在も2月に赤塚諏訪神社や「徳丸北野神社」で行われており、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
〔28〕 お散歩アルバム[高島平団地]
 日もとっぷり暮れて、板橋十景あとひとつは赤塚公園から都営三田線高島平駅までの「高島平団地とけやき並木」。江戸時代、徳丸田んぼは「徳丸ヶ原」と呼ばれた原野で、松月院に碑があった高島秋帆によって洋式砲術の訓練が行われた場所。それで昭和40年代、この地が開発されたとき、高島平という名が誕生したのです。
〔29〕
 さて、五景クリア。思っていた以上にさまざまな歴史と出会えました。とくに興味が湧いたのは松月院の「怪談乳房榎」。もう一度じっくり読んで、歌舞伎も観てみたいなあ。
 そして、私の大仏様。残念ながら、乗蓮寺の境内の風景が私の記憶と一致しなかったので、私があの日に拝んだのは東京大仏ではなかったかもしれません。けれど、だからといって、板橋にはほかにも大仏様がいらっしゃるのでしょうかー。

インフォメーション
  • 赤塚植物園 9:00〜16:30(12月は16:00まで)、入園無料
  • <行事>
    赤塚諏訪神社田遊びは毎年2月13日、徳丸北野神社田遊びは毎年2月11日に実施

地図  東武東上線下赤塚駅から板橋十景のうち五景をめぐる散歩! (PDF、151KB)

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<ご注意>
この記事に掲載された各種料金、価格、費用など、ならびに交通手段や経路、周辺の状況、所要時間などは、実際の歩行日あるいは記事執筆時点のものです。 お散歩隊が保証するものではありませんので、必要に応じて各自で最新情報をご確認のうえお出かけください。

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